イベントによる気づき✍️
2024年12月末に、SHIBUYA QWSのスペースをお借りして、小さなイベントを開催させていただいた。
実施後に、色々な角度から振り返りをしてみた。いくつかのポイントを以下に示したいと思う。
1.イベントの位置付け
基本的に、上記に記していただいている内容。
これまでは、うらべくんとマスブチさんが1人をゲストに備考欄的なモノを深掘りするという取り組みをしていた。
それに対し、今回は複数人で備考欄的なモノを出し合うという場だった。
そういう意味で実施してみた意義は非常に大きいのではないか、と思っている。
2.備考欄的なモノに出会うことはできたのか?
ここが、当日の場の一番大事なところ。
これについては、できたと思う。
サマリしながら、以下にいくつか記してみる。
- 私は、様々なイベントに参加するが、内容を集中して、聞き続けることができない。気づいたら、「時間軸に沿ったイベントの盛り上がり度合い」をノートに示している。
- 私は、左利き同士でラーメンを食べていることに気づいた時、自分だけの幸せを感じる。
- 私は、田舎暮らしをしていた時、蛇の死骸を見つけたときはちょっとだけ嬉しかった。自治体が死骸処理をしてしまうため、それより先に見つけることができるのはラッキーだから。
- 私は、かならずペットボトルをなんだか飲み残してしまう。
- 私は、ペットボトルのゴミを部屋に溜めてしまう。それも数十本くらい。
文字ではなかなか示すことが難しいが、面白い備考欄的なモノがテーブルの上にあがってきていた(気がする)。
今までは、特にラベルさえつけていなかった自分に関する経験や情報をちょっとだけ別の箱に入れた感じというか。
消えてもいい記憶フォルダの中から、とりあえず取っておく記憶のフォルダに入れ替えた感じというか。
また、「その話を聞いて思い出したんですけど・・」とか、「その話でいいなら私も・・」みたいな誰かの備考欄的なモノがまた別の備考欄的なモノを呼び寄せる触発の連鎖が起こっていたのも非常に嬉しかった。
様々な備考欄的なモノに出会うことができて、個人的には非常に楽しく過ごすことができた。
3.改めて備考欄的なモノを発露する場の理想は?
通常、実施している私の備考欄においても、今回の場においても、共通して理想とする要素があると思っている。
前提として、発露した備考欄的なモノそれ自体には目的は伴っていない。
例えば、自己分析に役立つとか、自分らしさを見つけられるとか、本当の自分をわかってもらえる、みたいなそういう目的。
ただ単に、それ自体が面白いから発露してもらっている。つまり無目的なものである。
とはいえ、備考欄的なモノをさらけ出していただく際の体験としていくつか理想の要素は存在する(はず)。
- 発露する際
- 「これ普段の目的をちゃんと考える場所(例:仕事、合コン etc)ではあまり話す機会ないんですけど、、」みたいな感覚で発露してもらうこと。
- 「どうでもことなんですけど実は、、」みたいな感覚で発露してもらうこと。
- 発露した後
- 意外と面白がってもらえたため、話す前に比べて自身の備考欄的なモノを少しだけ愛らしく見える
- 自身の中で”本当にどうでもよいことしまってもよいこと”とは少しだけ異なるラベルを貼って心の中にそっとしまっておくことになる
- その日以降
- 自己紹介や雑談の際に、「ちなみになんですけど・・」といったように、備考欄的なモノを挟み込んでしまいたくなってしまったりなんかして。w
4.今回の場と通常の場合との違いは?
事象として以下のような差異があるように感じた。

上記3.の理想と照らし合わせつつ、この事象の違いを考えてみたい。すると、大きく以下2つの観点で、備考欄的なモノを探る場におけるポイントが見えた気がする。
①:覗き穴に自分を合わせるのか、自分に覗き穴を合わせるのか。
- これまでの2対1での私の備考欄では、自分の中に意識的/無意識的にある備考欄的なモノに発露できそうな覗き穴を選択してもらっていた気がする。
- 一方、覗き穴がその場でランダムに決定して、参加者で順番に回答していく。「その覗き穴にフィットする内容を探さないと」、「自分だけのなにかを探さなきゃ」という焦りを感じさせてしまった感が否めない。「すでに存在するけど、普段あまり発露しない”私に関すること”にフォーカスする」という備考欄のコンセプトからも逸れてしまう気がする。
②:取るに足らない”私に関すること”への反応量が大事なのではないか。
- 備考欄的なモノ=自分に関する取るに足らないこと、それはつまり日常の仕事や他の人との関係において、「意味ないな」「どうでもよいな」と思ってしまうようなことな気がする。
- そういった”私に関すること”に対して、あれこれ聞いてもらったり、面白がってもらったりすることで、「たしかにどうでもいいことではあるけど、ちょっと愛らしいかも」と感じることができるのではないか。
- 今回の場では十分な反応をしてもらう状況をつくれなかったのではないか。
5.もしトライするとしたら?
ここからはジャストアイデアではあるが、以下のような工夫はできるのではないか、と思う。
覗き穴(軽い問い)の選択
- シンプルに、自分が発露してみたい覗き穴(軽い問い)を選択できるようにする。そして、その内容についてもっと時間をかけられる設計にする。
反応をしたくなる状況づくり
- 「反応すること=より多くの情報を理解すること」がアドバンテージになるように、インセンティブを設計する。
- 例えば、
- 複数人で誰かの備考欄的なモノに関する伝言ゲームを行う。より多くの情報を最後まで引き継ぐことができたチームを競う。
ここは余談だが、備考欄的なモノのように無目的なものを、目的的なコンテクスト(記者会見、論、授業や研修など)にあえて載せるという企画の仕方も面白いかもしれない、という振り返りもあった。
6.プロジェクト備考欄のスタンスを問い直す
参加者の方々の反応、参加者の方々にお伝えする説明の仕方を振り返り、プロジェクト備考欄のスタンスやスタート地点の問いが書き換わってきている気がする。
問い
取るに足らないと思われている情報の中にこそ、 その人らしさという原石が隠れているのだとしたら?
ではなく、
誰しもが持つ、取るに足らない”私に関すること”といかにして戯れることができるのか?
背景の思い
私たちは備考欄的なものをどのように楽しめるのか?を色々やっているのではないか、というのが一番しっくりくる気がする。
だから、あらゆる形で備考欄的なモノを聞いてみたり集めたりしている。
そして、もう少し抽象化すると、目的的である左側の項目と無目的的な備考欄的なモノのうち、無目的な後者を面白がる/戯れることをしている。
”その人らしさ”を文言に入れると、
その人らしさを探すために備考欄的なものを聞く
という印象をもたれやすい。
これは、メッセージとしてミスリードしてしまっている気がする。
(「肩書を脱ぎ捨ててはじめて本当に人と人とがわかりあえるんだよね、うんうん」みたいな解釈をしていただく。が、そういう意図はあんまりない。)
ただ、備考欄的なものが面白いと思っているし尊いと思っているから、聞いたり集めたりしている。
もちろん結果的に、その人っぽいものであることもあるが、そういうわけでもないこともあるかもしれない。
なので、「その人らしさ is 備考欄的なもの」(主語的)ではなく、「備考欄的なもの is その人らしさ(なこともある)」(述語的)に捉えていきたいし、そうお伝えしていきたい。
「〜〜にこそ」という言葉だと、名前などの左側の項目より本質的だよね、みたいな対立構造に近いイメージを抱かれてしまう。
そして、備考欄的なものはすでにあるけど、蓋をしていたり、捨ててしまっていたりするもの。なので、”誰しもが持つ”のニュアンスを入れたい。
