親知らずのお話

 
 
 
ヤマモト)
先週親知らずを抜きまして辛い思いをしたのですが、親知らずは改めて面白いなと。
親知らずの面白いところは、
  • ほとんどの人に苦痛をもたらす、というかネガティヴな影響が大きい(僕も苦しみました。)
  • けれどもどうやら古代からあるらしい。w
みたいな点だな〜と思って、少しだけ調べました。
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によると、
人間に親知らずが生える理由は、人類の進化と食生活の変化に深く関係しています。昔の人々の食事は硬いものが多く、しっかりと食べ物を噛むことで顎が発達していたため、多くの歯が必要でした。
しかし、現代の食生活は柔らかいものが多く、顎があまり発達しなくなり、顎が細い人が多くなったことから、第三大臼歯はそれほど必要ではなくなりました。
 
古代人の顎は現代人よりも大きかったため、全ての歯が無理なく生えることができました。これは、硬い食物を多く摂取していたため、顎が発達していたことが理由です。
現代では食生活が変わり、あまり硬い食べ物は好まれなくなりました。現代の子供はやわらかいものを中心とした食生活の子が多く、顎が細く小さい傾向があり、お口の中に親知らずが正常に生えるためのスペースがありません
らしいです。
 
思い出したのは、takram radio Vol.249でYAMAPの春山さんが言っていたこと。
人間は”弱い”。ただその”弱さ”が”強さ”になるところがすごく面白い。 弱さを強さあるいは特徴に変える最たる姿勢が謙虚さと感謝すること。 綺麗事ではなく、そっちのほうが生存確率が上がる。(自然の中での危機に)気づきやすいから。
 
アラスカで会ったイヌイットのおばあちゃんがビーズワークで必ず一箇所あえて間違える。 それはすごい知恵だと思う。「人間は必ず間違う生き物だから、その間違うと言うことを忘れないために、どんなに上手くできたとしても間違うということをやるんです。」という人間観を持っていた。人間は完璧ではない、自然の中ではするとちょぼちょぼであるという。
 
必ず発生するように人間に仕掛けられたバグのようなものなのではないか、と感じました。
合理的であろう、完璧であろうとする人間が非合理な一面も持ち合わせる存在であり続けるための最後の砦のような気がしました。
そして調べたら英語でwisdom toothと言うらしいですね。 昔は硬い食物を噛み砕くための”wisdom”だったのかもしれませんが、現在は謙虚であるための”wisdom”なのかもしれません。w
話を戻しますと、
このように親知らずに「合理だけになることはできず、人間の中には非合理さがあるよね」という意味や「たとえ機械といえども、演繹的に今日ミスないから明日もミスがないとは限らない」という意味を付与して作品とか作れたら面白いかも、と感じたのです。
親知らずを人間に見立てて、パノラマを作るとか(田中達也さんの作品がイメージしやすいかもです)、機械の中に親知らずが隠れている写真を撮った写真集とか(screw project みたいにみんなで撮ったものをアップとかできても面白そう。)。
 
ウラベ)
ちょっと関係ないかもですが、街の落書きを思い出しました。
飛車格とかエビチリとか全国共通するものがあるんですよね。
マスブチ)
親知らずのイラストで街に落書きするのもいいかもw
ウラベ)
「親不知」ですねw
ヤマモト)
あとは、シンプルに親知らずということで、この歯の存在自体親が知らないものなので、この歯を通じて親が知らなかったことを子どもから共有できる機会にするとかもありかな〜とか思ったりしました。「親知らせ」。
親知らずに印字されたQRを読むと、結婚式の招待とか妊娠を伝えるとか。ちょっと怖いかもですが。ww